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枯葉舞う晩秋、人肌恋しい季節に似合うおでんに因んだ句集や作家の秘めた恋心をどうぞ。
おでん鍋櫻落葉を受け入れし
表題は島田牙城の句。句集は『袖珍抄』。この人は余程おでんにこだわりがあったのか、「はんぺんへ蛸の朱移りたるおでん」「じやがいものあとかたもなきおでん鍋」等がある。
いろんな文献を読むと、作者には物事事象はただの隠喩の材料に過ぎず、おでんにもそんなに思い入れは無かっただの、日常を達観した表現だのニヒルな写生だのと評されるが(ホントに批評って煩いものですね)、私はこれらを詠むと、ただただひたすらに、木の枝の櫻の紅葉が風に吹かれたり雨に打たれたりを思い、おでんが食べたくなるだけだ。句を読むまでは心に櫻もおでんも無く、こうした様々な感情を生み出す句の凄さを素直に味わいたい。
普通に歳事記を主題にした、写生句では無いくらいは分かる。移ろいゆく季節の中で起こる、様々な人の営みとあるがままの自然。晩秋のある日の、温かさ。家の中なのか店先なのか、窓からはらりと葉が風に吹かれたのか。内外の季節感の描き分けが面白い。秋の風物で食事ものなら家の中だけを描きがちだけど、もしこの櫻落葉がフィクションなら、頭の中に、晩秋のたまらない寂しさのようなものが作者の中に同時に浮かび、それがゆるやかな螺旋のように舞ったのではないか。
おでん。差し向いに好きな相手がいれば、尚美味しい。そんなおでんが食べたいな。
『向田邦子の恋文』にはそんなつつましい恋人同士の(若き日の向田邦子と、13歳年上の病気療養中のカメラマンN氏)やり取りがある。
昭和38年11月27日(向田からN氏へ)
寝不足のときって、おなかまで弱ってるんですね。
そんなこんなで、仕事は完全に半日分おくれ、TBSとフタバに平謝りです。
28日は、夕方までうちで仕事をして、久しぶりでいっしょにゴハンをたべましょう。
邦子の誕生日ですもんね。
昭和38年12月13日(向田からN氏へ)
この部屋、コンディションはとてもよく、とても仕事がはかどります。
来年も月のうち10日はここで仕事をして、後は遊んで暮らしたい、
と夕べも胸算用をしていたところです。
おでんの調子はどんなでしょう。今のうちに、せいぜいおでんづくりを練習して、
いよいよ食い詰めたらおでんやデモしようかしら。
でも私のは、仕込が高くて、まず倒産でしょうね。
では、ぼつぼつ(仕事を)はじめるかな。イヤダナ。
日曜日に、お刺身でビールをのむのをたのしみに。
お大事に。 邦子
昭和39年2月17日(N氏の日記)
高円寺まで行き、帰り治療による。昼食:昨夜のすき焼きでおじや、
サラダ、おでんの残り、風はあるが太陽の暖かさは相当な もの。夕方、足風呂を使う。疲れる。
邦子来り。夕食は豆腐、酢のもの、おしたし、おすまし。
病院行き、将来の方針など話し合う。足の調子も頭も良くない。熱があるようでもないのに。
10時半 邦子帰る。
…2月17日の記述の翌々日、N氏は亡くなる。
死後20年経って初めて明かされた、本人の日記と大切に保管されていた往復書簡からじんわりと、人が人を思う気持ちが伝わって来る。おでんはそのような食べ物でもあるのだ。