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トーマス・マンの小説を映画化した耽美な名作映画。美少年タジオに心奪われた作曲家アシェンバッハの苦悩と恍惚。
春から夏に季節が移り変わる頃、花屋では紫陽花の姿を見かけることが多くなる。この花を目にすると思い出す映画がある。トーマス・マン原作の『ベニスに死す』だ。この作品の監督、ルキノ・ヴィスコンティが好んだ花が紫陽花だった。
ヴィスコンティは1906年11月2日、ミラノの由緒ある貴族の家に三男として生まれ、芸術への造詣が深い両親の元で育てられた。ヴィスコンティ家は10世紀に起源を発し、1277年から数世紀に渡ってミラノを統治した家柄だ。代々多くの芸術家を擁護してきた家系で、その中にはレオナルド・ダヴィンチの名も挙げられている。
『ベニスに死す』に描かれている年代は、1911年。物語以外にも、貴族社会の優雅さや衣装やホテルの佇まい、部屋の調度等で存分に味わう事が出来る。現在の庶民の旅支度とは比べ物にならないトランクの山、それ自体がタンスの役割をも果たすような仕組みで、1つ1つにイニシャルが刻まれている。浜辺の設えや、人々の水着も今では考えられない優美なものとなっている。カパンネ(水浴小屋)と呼ばれる小部屋が立ち並び、それぞれ入口に張られた布の日除けの下で、思い思いに浜辺を満喫する事が出来た。籐のイスでくつろいだり、飲み物やフルーツを給仕させたりと様々だ。又、波打ち際を白いパラソルで、そぞろ歩く貴婦人達の、風になびくヴェールの透明感等はまるで印象派の絵画のようだ。この映画には、忘れられない美しい風景が数え切れない程たくさん出て来る。
主人公アシェンバッハが追想の中で、こんな台詞がある。「父の家にもこんな砂時計があった。砂の落ちる管の部分が非常に狭くて、最初はいつまでも変わらずに見える。砂が無くなっていく事に気付くのは、おしまいの頃だ…」砂時計を見つめる彼は呟く。あまりに少しずつ消えてゆくため中々気付かないが、目に見えて減ってしまった頃に慌てても、もう決して間に合わない、そんなものを私達はたくさん持っているのではないか。それは例えば若さであったり、才能であったり、愛情であったり…。 多く持つ間はその浪費に気付かず、失う瞬間にその大切さに気付いてしまう。それはただの悲哀とも異なる感情だ。心が揺さぶられるがもう間に合わない。
この映画は、美しい人々や風景を心ゆくまで楽しみ、その時代が持つ雰囲気だけを堪能する事も出来る。しかし、その中には、残酷とも思えるテーマを有しているのだ。私達が紫陽花を見て花びらだと思っている部分が、本当は蕚であるように。
『ベニスに死す』、美しいマーラーの楽曲に縁取られた水の都に、ひととき彷徨い歩ける名作だ。
STORY
ドイツの名高い作曲家グスタフ・フォン・アシェンバッハ(ダーク・ボガード)は、静養のためベニスを訪れる。もはや老境に差し掛かった彼は、芸術における美を追求する事に、自らの限界を感じていた。そんな苦しみから逃れるための旅で、更なる苦悩に彼は苛まれる事となった。それは1人の少年(ビョルン・アンドレセン)との出会いによってもたらされた。
1900年代初め、貴族が訪れる保養地、リド島。白を基調とした優雅なホテルにアシェンバッハは宿泊している。案内された部屋の窓からは、ホテルの浜辺がよく見渡せた。色とりどりの紫陽花に彩られたサロンは、様々な言語でざわめいている。アシェンバッハはあるポーランド人一家に目をとめた。美しい母親、3人の姉妹とその家庭教師に囲まれた、1人の少年。彼の美しさは、アシェンバッハが眼をそらせなくなる程、圧倒的なものだった。しかしその美に魅かれる事は、彼の“芸術は教養の最高の源泉であり、芸術家はあらゆる面で模範的でなければならない”という考えに相反するものだった。
物語は、アシェンバッハの過去の苦悩と、自らの老醜への嫌悪や葛藤を、交互に描き、そして又、それと呼応するように蔓延する疫病と、供にその終焉を迎える事となる。最期の時、彼の顔に宿っていたのは真実の美の在り方を知り得た満足だったのだろうか…。
出演:ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレセン、シルヴァーナ・マンガーノ
監督:ルキーノ・ヴィスコンティ
脚本:ルキーノ・ヴィスコンティ、ニコラ・バラルッコ
原作:トーマス・マン
1971年/イタリア、フランス/クレストインターナショナル/131分/原題『MORTE A VENEZIA』英題『DEATH IN VENICE』