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人に語る恋では無いけれど、ずっと心の拠り処となる…そんな恋を描いた名作映画『旅情/Summertime』の魅力。

Text & Illustration by Yoshimi Yoshimoto (Design Studio Paperweight)

2019.04.11

旅先のロマンス… これほどドラマチックで刹那的な喜びには、なかなか出会えないのでは無いだろうか?

『旅情/Summertime』はその醍醐味をたっぷり味わえる映画だ。しかも舞台はイタリアでも最も絵になる街、アドリア海の女王とも言うべきベニス。毎年少しずつ水没しつつあるというこのルネッサンス時代そのままの姿を残す都は、車が一切通行禁止で、交通は全て水路を渡る船もしくはゴンドラを使う。そして迷路のような街路は徒歩での移動となる。消防活動のための乗り物ももちろん船なのだ。映画の冒頭にこの消防船のシーンが出て来るが、やはり珍しいためか、キャサリン・ヘップバーン演じる主人公のジェーンが夢中で8ミリカメラに収めている。

又彼女が宿泊するペンショーネが素晴らしい。細い入りくんだ路地にある一見普通の住宅の様だが、通された部屋の眺めに誰もが圧倒され、驚嘆の声を思わず上げてしまう。なまじ超高級ホテルで無いだけに、かえってこの部屋からのパノラマが意外性に満ちていて、アっと言わせる効果がある。サンマルコ広場の塔や遠くにはムラノ島が見え、絵ハガキそのものの風景が広がっているのだ。アメリカでキャリアを積んだ48歳の女性という設定の主人公で無くとも、その夢の様な世界に誰しもがうっとりする事だろう。ただし、現実のイタリア旅行において独り旅の場合、そういったビューポイントを持つ宿を求めるのは、ぼくの経験では難しい様に思う。

1955年製作のこの作品、女性のファッションが見どころでもある。50年代特有のウェストをキュッと絞ったドレスがとてもエレガントだ。ジェーンの性格を反映してか、スタンドカラーや淡色のお堅いデザインのドレスが多く目に付くが、とっておきのデートのために彼女が選んだドレスは上品でありながら、とてもセクシーだ。シンプルな黒のストラップドレスなので、それだけではよくある感じだが、ストールやジュエリーのあしらいが洒落ている。白い透き通ったシルクのシフォンのスカーフに、1本だけ真紅のサテンのリボンを絡ませて、それを首に巻くのでは無く、ネックレスに斜めに通す事によって固定し、バックへと優雅に流している。そしてそのリボンと色を合わせたミュールとルージュでコーディネートしている。ブロンドで甘い顔だちの女優であれば色気が過激で下品になりそうだが、知的で上品なキャサリン・ヘップバーンならではの着こなしだ。

この映画に甘いムードを漂わせる小物として、くちなしの花が2度登場する。1度目はレナートとジェーンの初デートで、彼女が選んだのがこの花だった。このシーンをラストまで決して忘れないで欲しい。くちなし特有の甘い香りが観客の心の中にもよみがえり、アレッサンドロ・チコニーニ作曲のテーマ曲、"サマータイム・イン・ベニス"と共に、いつまでも深い余韻を残す…。

何度思い出しても切なく美しい恋、遠い夏の日の花火や海に沈む夕日、2人でかかげたグラスの色。『旅情/Summertime』はそんな想い出のお手本の様な映画だと思う。くちなしの花言葉そのものの様に人に語る恋では無いけれど、ずっと心の拠り処となる、そんな恋を語っているのだ。

STORY

アメリカで秘書としてキャリアを積んできたジェーン・ハドソン(キャサリン・ヘップバーン)は休暇を取り、初めての海外旅行にロンドン・パリと旅し、ベニスへとやって来た。宿泊先のフィオリオ荘は窓からの景色も美しく、女主人も気さくで親切である。しかし、独り旅のジェーンにイタリアは酷な街であった。目に付くのは幸せそうなカップルばかり。仕事一筋で独身を通して来たジェーンは、後悔を抱えつつも恋に臆病になっていたのだった。そんな彼女に声をかけて付きまとうのは、物売りの少年マロウ位なものだった。

観光に出掛けたジェーンは、独りサンマルコ広場のカフェで時間を過ごしていた。笑いさざめく恋人達や美しい女性を誘おうと後を追う若者…。その時自分を見つめる視線を感じ振り返ると、ロマンスグレイの男性と目が合い、ジェーンは慌てて目をそらし逃げる様にカフェを去ってしまうのだった。

アンティークショップでジェーンはふと足を止めた。ウィンドウにディスプレイされた赤いワイングラスに心惹かれたのだった。暗い店の奥から彼女の問いかけに現われた店主こそ、何と、サンマルコのカフェで彼女を見つめていた男性、レナート(ロッサノ・ブラッツィ)だった。ここでもジェーンはそそくさとグラスを買い、もし同じタイプがあればもう1客欲しいと注文する。翌日もジェーンは独りベニスの街を散策する。お伴は少年マロウだった。ふと足がレナートの店へと進むが、彼は不在だった。

フィオリオ荘に戻ったジェーンをレナートが訪ねた。ジェーンは彼がグラスの件で訪ねて来たと思ったが、彼の目的は彼女をサンマルコ広場のコンサートへと誘うためだった。

ロマンチックなベニスの夜を堪能するジェーン。2人のテーブルに花売りがかごを差し出す。ジェーンが選んだのは、意外にもくちなしの花だった。昔、ダンスパーティーに付けて行きたかったが、叶わなかった憧れの花だったからである。

夜のベニスをジェーンとレナートはそぞろ歩く。ジェーンは誰にでも愛想をふりまきたい位に有頂天になっていた。ワインに酔ったのか、恋に酔ったのか、自分でも不思議だった。橋の上から運河を下るゴンドラの人々に向かって、手を振った拍子にくちなしの花がジェーンの手から滑り落ちてしまった。花を追って階段を急いで降りて「拾えるよ」と川に身を乗り出すレナート。しかし後少しの所で花はレナートの手をかすめて流れ去ってしまった。

翌日のジェーンは浮き足立っていた。レナートとのデートのために、美容院に行き、髪やネイルを整え、黒のストラップドレスと赤いミュールを新調した。待ち合わせはやはりサンマルコ広場のカフェである。嬉しさを隠しきれずにレナートを待つジェーン。しかし、そこに現われたのはレナートの店の少年だった。少年からのメッセージはレナートが約束に遅れるという内容であった。彼女の問いにくったく無く少年は答える。「父はあなたにぞっこんなようで…」。レナートには妻子がいたのだ。ショックを受けたジェーンはレナートに来る必要は無いと少年に伝言を頼み、カフェを独り立ち去るのだった。

とあるバーでやけ酒を飲み、フィオリオ荘へ戻ったジェーンをレナートが訪ねてくる。レナートは熱くジェーンへの愛を語るが…。

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